11.
スイカを切って分数を教える。
算数の勉強では整数の次に分数、小数点の分野に入っていきますが、この分数の考え方が大切です。
それは整数(1,2,3,4・・・・・)の概念から、分数の概念を持たせることが大切なのです。 笑い話で1/2+1/3=2/5という回答した人がいたそうです。
確かに足し算をしましたね。
しかし、概念(つまり考え方)がないと理解できません。
1/2とは半分のことで、これは説明が簡単です。
では、1/3とはどのようなことなのか、と聞かれたので、スイカ1個を平等に3つに切ってその1つが1/3という意味だ、と教えました。
つまり、1/3+1/3+1/3=1という答になる・・・・と。
また分数と小数点の関係も教えました。
0と1の間が0.5で、それは1/2と表すのだということをです。
小数点と分数の概念を理解しないと算数はどこまでいっても理解できないようです。
先に書いたトランプ遊びに続き、子供に分数の意味をスイカを切る例
によって説明してみました。
さて、皆さんはどのようにして子供に分数を教えたのでしょうか?。
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12.
息子の金融学専攻。
息子から、大学の専攻は金融を選びたいが、どうか、と聞かれた。本人はとても自信がない様子でした。
「それは良いことだし、大変に将来性のある分野だ」と答えてあげた。
息子は今、大学一年生で経営学部を学んでいます。
2年目から、その学部で経営、会計、金融(ファイナンス)に分かれて勉強することになる、とのこと。
「金融学を学ぶには、法律が必要。経営と法律が分かる金融学を学べば中央銀行(日本銀行)に就職できるよ。大蔵省(財務省)は無理かもしれないが、商業銀行からは頭を下げて入社を勧められるよ」と。
そして「金融学の中でも特に金融政策が花形だから経済学も知っておいた方がいいなー・・・・・。」
以上の会話を、夕食を摂りながら進めていきました。
息子になぜ金融を専攻するに至ったかについて質問したところ、友人の父親がファイナンス会社の社長をしており、その友人の影響とのこと。
そう云えば小泉内閣の時、小泉首相は金融担当大臣として竹中平蔵氏を指名したが、彼は金融政策に詳しい人だから招かれたのでしょう。
日本では、金融を勉強する学部、学科がありません。金融学部、金融学科などは聞いたことがありません。タイの大学では多く見られます。
そのことについて、日本の大学教授に質問して見ました。
日本の大学では、金融(お金)についての研究は、学者として恥ずかしいこととして、学部学科を創設して来なかったとのこと。
なるほど、“武士は食わねど高楊枝”ですか・・・・・。
親は子供の生き方、進路に口出しはせず、自由にさせています。
しかし内心は良い職業に就いてほしい・・・・と思うのが親心。
子供に対しプレッシャーが掛からないようにして、遠くから見つめ応援したいものです。
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13.
塾はみんなが行くから行く・・・・・。
小学3〜4年になると塾通いの人が増えてきます。
親としては、塾に行かせて少しでも成績を上げようと思う親心から出発しているのでしょう。子供から積極的に塾に行きたいと云う例は少ないでしょう。
ただし、〇〇ちゃんが塾に行っているので、いきたいというケースが多いでしょう。
私は子供に「塾なんかに行かなくてもいいよ。先生の言うことをちゃんと聞けば理解できるよ。先生の話は先生の顔、特に目を見て話を聞くことだ・・・・。」と教えました。
先生が話をしている時、隣の人とヒソヒソ話はとんでもないことだ・・・・と。
塾に行っている子供は学校で学ぶ前に、すでに学校で習う所を習ってしまっているので、「そんなのわかっているよ」として先生の話を真剣に聞かないようです。すでに塾で学んだ内容を、学校で再び学ぶ訳ですから感動が少ないんですねー。
この塾へ通うためには、学校から帰ってきたらすぐ身支度をしなおして、塾のスクールバスに乗って塾へ。まさに学校が2ヶ所あって、その2ヶ所に行き来する感じです。そして、塾から戻ってきたらすぐ明日のため眠らなければならない。
このような超過密スケジュールで一日を過ごしているのです。
私は、「学校できちんと勉強して、家に帰ってきたら遊べ、好きなことをせよ。」という考えでしつけてきました。先生の顔、特に目を見て話を聞きなさい、と云ってそのようにさせてきました。もちろん勉強は大切ですが、伸び伸びとした生活環境の中で
学ばせることに努めました。「勉強しろ」とは一度も云わず、逆に「どんどん遊べ」と云ってあげました。
なお「先生が話をしている時は、しっかり先生の顔を見て聞くこと」は、自分が中学2年の時、先生が実践していてことから学び、同じ様にして子供に実践するように云ってきました。(そして、現在も・・・・・。)
ただし、高校受験は入試のための勉強をしなければならず、そのための塾は必要と思いますので、ハーイ。
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14.
娘が男の子に意地悪されちゃって・・・・・。
「お父さん、後ろに座っている男の子が私にいじわるするんだけどー」と云うので、「そうー、それは喜ぶことだ」と答えました。
私は待っていましたとばかりに、自分の経験を娘に聞かせました。
「父さんも小2の時に好意を寄せている信子という人が席の前に座っていたので長い髪の毛を引っ張ってしまって・・・・・。」
「男の子が好意を持っているから、いたずらするんだよ。だから、それは悪いことではなく喜ぶことなんだよ・・・・・」と。そうは言っても迷惑でしょうが。そこは我慢、我慢。
父の話がリアリティーに富んでおり、迫力があるので娘はその話に乗せられてしまう。
「意地悪されてしまうのは人気があるからなんだよ。人気のない人が意地悪されて、いじめで意地悪されるのとは違うんだよ。・・・・・」と。
そこで、娘が「いじめ」って何?と聞くので、
「いじめも知らないのか?先生に聞いたらー。」バンコクに住む私の子供は「いじめ」という言葉は知らなかったんですよ・・・・・。
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15.
個人面談の時、子供を自慢する。
小学、中学を通じて1年に1回の個人面談がありました。一人につき、わずか15分位の時間でした。普段は学校へ行かないので、せめてこの時ぐらいはと何とか都合をつけました。
その時はもちろん息子、娘も同席ですが、子供の自慢話を先生に聞かせました。
自慢話とは家庭での生活を紹介し、子供の長所を取り上げ先生に披露するというものです。
通常、親は子供の長所を云わないで短所をとりあげ、そのことを先生との話題にしがちです。
「先生、うちの子供は○○○が出来ず困っています」
「うちの子供は、勉強せず○○○ばかりしています」・・・・・等々。
しかし、私の場合はそれらとは全く逆の話をするので、先生は驚いて「まあー、何という親だろう」と呆れるというより驚いてしまうのです。同席している子供も少し照れてしまうほどです。
先生は、生徒をみてその親を見ます。この子にしてこの親ありです。ダメな子供は、やはり親もダメでしょう。
先生の仕事は子供の性格を観察し、その性格が親の生き方、考え方とどのように関係するか研究したいものです。 しっかりとした子供を見ると、やはり親もしっかりしている、と見えるのが先生の視点なのです。
くれぐれも、個人面談のとき、子供の欠点を話題にするのでなく、 長所を話題にして、子供を元気づけることが大切ではないでしょうか?
ねー、先生!!
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16.
子供との付き合い・・・・・。
付き合いといえば、人と人との交わりのことで、会社では社員と社員、上司との関係です。自分を中心とすると、部下、同僚、そして上司、と相手によって言葉遣い、態度も異なってきます。では、子供の付き合いは、どのようなスタンス(立場)なのでしょうか?
子供との話し合いの時、親は子供の年齢まで年を下げ、子供と同じ年齢に合わせます
。
そうすることによって、親子の関係ではなく、兄弟の関係のような身近な関係になり、年齢差が縮まります。身近な関係になれば、お互い好き勝手なことが云い合える関係になり、議論が進みます。その会話の中から発展的議論に進んでいくのです。
子供はたえず自分のことを理解してほしいし、話を聞いてほしいのです。そのためには親自らが年令を下げて子供に近づかなければなりません。会話は楽しくなくちゃー・・・・。子供と遊びに行ったり、食事をする中で、なにげない会話を通じて少しずつ大人になっていくのです。
子供との会話の中で、ある悩み事を相談された場合は、自らの経験を語り、そのことが特別なことでなく、よくあることであることを示し、具体的例を持って語ってあげよう。
子供との会話の中で実は、親・子供とも、双方が成長していくのです。
17. 生理が始まったらお祝いをしてあげる。
生理 (医学用語は月経) の開始、つまり初潮は、個人差があって、その人によって異なります。これは病気でなく、人間として自然現象であることを親からも云いましょう。
娘「お父さん、アレ始まっちゃったー!」
父「そうか、おめでとう。これからもう、おとなになったんだヨ。」
娘「じゃー、何かプレゼントして!」
父「じゃあナプキンを1年分…。」
娘「そんなの要らない、自分で買うから。恥ずかしいよ…。」
父「じゃー、お祝いに○○○を買っちゃるヨ!」
娘との会話は明るくなくちゃ楽しくない。
生理が始まると、もう子供を生める状態であり、大人になったんだと教えます。又、子供の体型から、女性らしい体型へと変化していくことも教えます。10歳でもう子供を生んだ人がいるという例をあげ、それが人間の体の構造上、可能であることを教えます。
日本では昔、赤飯を炊いて祝ってあげていました。現在はもちろんその習慣はありませんが…。その祝いを通じて、子供から大人になる自覚を、少しずつ認識させる為なのでしょう。
ところでさっきの会話、祝いに何を買ってあげたでしょうか?
「んーん、記憶にありません…。」
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18.コンピューターは早く始めるほど良い
あなたの子供は何歳からコンピューターを始めたでしょうか?
大体において、小3〜4年生頃が多いと思いますが、小1からでも良く、早いほど良いのではないでしょうか。
子供は頭が柔らかいので、自分で習得し、コンピューターに詳しい人になっていくのです。
日本では携帯電話が発達しており、「コンピューターは必要ない」と言っている人がいます。しかし、これらの人は将来その時代から、取残されてしまう人達なのです。コンピューターはメールのやり取りに限らず、今度ますます進化し、多様化、さらに高度化していきます。
現在、小学校では授業でコンピューターを教えていますが、生徒の1人1人のレベルが異なるため、先生は教えにくいという問題が出てきています。中には、先生よりレベルの高い生徒がいて、先生がその生徒に習ったりして・・・・・。
このコンピューターの世界は、広さと奥行きが深く、無限なのです。
それでも子供の将来を考えると、若いときから習わせることが重要でしょう。どんな習い事があってもコンピューターは、活用性のある習い事ではないでしょうか。
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19. 英語教育について
私の子供は小学3年の時から英会話に行かせました。
中1の時、子供は「英語の先生の発音は訛っている」と言っていました。 中1の授業に於いても、英語のできる人、できない人とはっきり別れています。 授業は日本の中学と同じカリキュラムなので、その通りに行うだけですので出来る人、出来ない人の二極化に分かれていても、現場ではそんなことは気にしないで授業を進めているようです。 気にしても今の制度では、改善が行われないのです。
日本はまず日本語をしっかり学んで次に英語の方針なのです。 日本語をしっかり学ばずにして何が英語か・・・・・と。
よって、英語は個人的に学ぶべき分野なのです。 子供らは、3人とも英語での授業を受けているので、将来英語のできない人より有利であることは間違いないです。
コンピューターと英語は今後、日本人として最低必要な知識になること間違いないです。最低です・・・・念のため。
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20. 子供の進路相談
高3の娘から「大学進学についてどんな分野に進んだら良いか」と 相談がありました。 よーし「時間をとってゆっくり話をしましょう」と、関心を持ったふりを
する。「まず、将来何をしたいかだ」これによってどんな学部、学科が 決まる。「将来何をしたいかもまだ決まっていない」と娘。
それが決まっていれば、相談を持ちかける必要なしですよネー。 まあー、いろいろディスカッションしたが、このプロセスが大切です。
結果的には、今の学部、学科の経営学部へは進まないことにした。 経営学部って、金儲けの時代の学問ですよネー。 娘の本音は、勉強をたくさんしなければならない学部、学科は嫌い
らしい。「そう、遊びたいのでしょうー。それなら文系のコミュニケーション 学科が良いのでは?」これで結論が出ました。
この文章を書いていると、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊
名誉教授の話を思い出しました。
ある高校生を対象にした講演会で「勉強は何のためにするのか」と 尋ねられ、「自分の進路を決めるため。自分であることをしたいと決め
れたらそれはもう人生に於いて成功したと同様の価値がある。、、、」 と回答したそうです。
つまり今の若者は、将来どのように生きようかというはっきりした考え を持っていないので、同氏はそれを持つよう勧めたのでしょう。
最初に戻って、進路が決まったということで「おめでとう」と前祝いの パーティをしました。
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(2007.11.15)
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21. いつも呼ぶときは愛称で・・・・・
子供を呼ぶときいつもどう表現していますか。私は親から「豊」と呼び捨てにされていました。 今から考えると「豊ちゃん」と親から呼ばれてみたかったです。
私は「則子ちゃーん」「大豊くーん」と、それはもう生まれた時から呼ばれているのです。
親から呼び捨てにされていたら、いや親に限らず良い印象を受けないですよ。いや、いい気分がしないですよ。
親が子供をどのように接しているかは子供を呼ぶ時に明白に現れています。
言葉は思想です。どんなに子供思いの親でも呼び捨てするより、 「○○ちゃーん」の方が愛情が伴っていると思います。
結論として、子供を呼び捨てにしないで愛称で呼んでほしいもの。
その優しい表現こそが心に伝わるのであって、呼び捨てはどんなに愛情 を持っていたとしても相手に伝わりません。
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(2007.12.20)
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22. 勉強しない子供はこうなる・・・・・
私は子供に勉強しろ、などと言った覚えがありません。小学校に限らず、学校は、勉強をしに行く所なのです。
「学校は勉強する所だからしっかり学びましょう」と小学校の入学式で、校長先生が言っていました。
小学2年の時、子供が学校へ行きたくない・・・・と駄々をこねたのでその時「うれしい」と言って「もう子供にお金をかける必要がないので」と付け加えました。子供は駄々をこねて親がどう反応するのか試したのでしょう。下手に回って「お願いだから・・・・・」の回答を期待したのかもしれません。さらに追い討ちをかけるように、「学校をやめたら、駐在員の家庭で子守りをさせるよ。恥ずかしいだろ」と。
さすがにこの言葉にグの根も出なかったようでした。以来、学校へ行かない、などということは云わなくなりました。 以上は娘に言った言葉です。
息子へは次のように云いました。
「勉強しない子供は、大きくなったら暑い外で土方工事の仕事をさせるよ。勉強した子供は大人になったら涼しいオフィスで机に座ってサインをする仕事。どちらを選ぶ?」と迫りました。
タイでは、学歴社会で仕事は学歴によってはっきり別れているのです。以上のことを子供の時にはっきり教えれば、なぜ勉強しなければならないか、身をもって理解できるのではないでしょうか?
「勉強しろしろ」と言うと、子供は反発するものです。
以上、勉強しない子供のために、一つの対処方法を紹介しました。
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(2008. 1.18) |
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23.
親と子供には接点があるんだぞ!
さて、親と子供が信頼関係を築いていくためにはそれなりの努力が必要で、親の出番、見せ所を教えてあげましょう。
親子の断絶などと云わないで、努力することが大切です。
(1)まず、間違ったことをしたらちゃんと正しいことを教えること。
過ぎたことに対してはもう、どうしようもないのに怒っても無駄です。
「少しまずかったんじゃないの・・・」と過去形にして、さりげなく間違ったことへの反省を促すこと。
あまり強く言うと反発するだけなので、ここはウソが見え見えでも良いのでオーバーに残念がるのが良いですねー。
本当は怒るところを残念がるポーズ、これが必要。
(2)次に、子供へ自分の得意な歌を歌ってあげる。
酔った時は、得意な18番の歌を歌ってあげる。子供には「またか」と思わせるのがミソ。
親が子供にカラオケでも良い、とにかく歌を歌ってあげる。これは子供への最高のプレゼントです。歌は年齢、身分に関係なく共通の趣味だからです。
親子が歌好きで共にデュエット、なんて最高のコンビですよ。
(3)最後に、子供の前で泣いて(ウソ泣き)あげることができるでしょうか?
子供が何か悪いことをした場合、親が泣いて(うそ泣きも含めて)あげる。
いわゆる、泣きを入れる、ということですよ。そうすることによって子供に反省のきっかけをつかませることになります。
おかしいぞ?子供は親に対して泣くのに、なぜ親が子供に対して泣くのだろうか。
あなたは以上の3つのうち、いくつできますか?
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(2008. 3.20) |
24.
父親への尊敬の念
父親と母親では任務、役割が異なります。
ここでは父親と子供の関係について、特に尊敬される父親との関係について述べてみましょう。
まずは、飛んでいる父親でなければならない。(飛んでいる父親とは、普通の父親より話しのわかる人を云う)
そのためには、子供にバカにされないように努力することです。
子供が親を見損なった時から、もう心は離れてしまって壁が生じます。
その後、親子関係の修復は難しいし、いや、できないと思ったほうが良いでしょう。
提案ですが、家庭内に於いてはやはり母親より父親がリーダーシップをとってほしいものです。
家庭のことは何でも奥さん任せ、などという人がいますが、とんでもないことです。
父親の義務でもあり、自らの権利放棄をしないで下さい。
子供は父親・母親の両方を見てよく観察しています。
うるさい父に優しい母、またはうるさい母に優しい父と、バランスをとりあう。
どちらもうるさい両親では子供の逃げ場をふさぐようなものです。
また、一部にある母親が父親の悪口を言うなんてとんでもないことです。
「あなたも勉強しないとお父さんのようになるよ」なんて口の悪いことを言う母親はどうしようもない母親です。
父親の威厳を保つ切り札は給料を子供の前で母親に渡すこと。
これしかないんですよ。父親は最大の強みは働いて、妻子を養っていることなんです(共働きは別として)。
私は給料を自動振込みにしないで今でも現金で手渡ししています。
現金を見せてお金の大切さを教えることです。
月に1回、月末にお父さんは子供の見ている前で、お母さんに現金の給料を手渡す・・・。
この儀式こそ、父親の存在の証しなのです。 |
(2008.4.4) |
25.
お父さんの仕事は作家だ・・・
子供が小2の時、担任の先生が息子に「お父さんの仕事は何?」と聞いたそう。
困った息子は「えーと、えーと・・・」と間をおいて、「作家」と答えてしまったとのこと。
もちろん「社長、経営者」という言葉を知らなかったので。
先生は「そう」と含みを持った言葉で終わった、とのことです。
その後、日本から来た友達に同じ質問を受けたので、同じく「作家です」と答えたら、友達はいたく驚いた・・・とのこと。
そこで息子が「なぜ、友達が驚いたのか」と、聞いてきました。
「それはそうだよ。作家という職業は日本に何千人もおらず、
希少価値のある仕事で、かつ誰でもできる仕事ではないよ。
何と云っても尊敬される職業なのだよ。」
そう云っても「そう」と言って、驚く気配もない態度でした。
以来、父の仕事は作家と云うのをやめたとのこと。
子供は親の背を見て育つ、と云いますが、子供は親がいつも机に向かって文章を書いているのを見て「作家」という職業を連想して云ったのでしょう。
確かに、どんなに売れない本でも20冊も書けば「作家」ですよネ。
ちなみに「作家」とは、以下のページを参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9C%E5%AE%B6
さらに「物書き」について関心ある方は、次を参照下さい。
http://www.kobayashi.co.th/Kaicho-shitsu/monokaki/nyumon.htm
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(2008.7.4) |
26.
先生と生徒は“一対一”で話すべし。
私の娘も例に漏れず、学校の規則を破って生活指導の先生にお世話になったことがありました。(中2の頃?)
なんと書くにはばかるハレンチな行動をしてしまったのです。(よくやった!!)
ここでは、娘の行動を問題にせず、学校側(先生)の対応について問題にします。
まず、事実を紹介します。
問題を起こした娘は、担任の先生に呼ばれて別室へ。
そこには担任の先生の他に、応援の先生が両サイドに2人立っていました。
担任の先生が顛末について詰問するものの、答えに窮している娘に対して、両サイドの先生が「早く答えろ」「うそだ」とかのチャチャを入れるのです。
(コメント)
以上の内容はよくある場面です。
教育する立場にある先生が3人でリンチをしているようなものです。
子供から「先生との話し合いの時、3人の先生が次々に発言するので、話し合う雰囲気ではなかった」と言っていました。
50歩譲って、同席したとしても一部始終黙って聞くだけにして欲しいものです。
その後、以上の内容を教頭先生に、さりげなく報告しておきました。
彼は、その通りなので低姿勢になっていました。
多分、このような場面は日本のどこでも行われているのでしょう。
先生が、生徒を呼んで事実をはっきりさせるため話し合う場合、“一対一”で話をしてほしいものです。
他の先生を同席させる場合、傍聴人として黙っていてほしいもの。
絶対に、1人の子供に対し、周囲の先生(通常2人〜3人)が次々に横やりを言ったり、チャチャやヤジを入れるのはやめてほしい。
子供は、これら先生らのリンチ(?)に耐えられないのです。
また、そこには真摯に子供と話し合う雰囲気がありません。
先生と生徒は、あくまでも向かい合って“サシ”で話し合うことが大切です。
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(2008.8.11) |
27.
子供に聞かせたい自分の過去・現在・そして未来
親子の会話では、色々なテーマで話し合われます。
学校のこと、仕事のこと、人生観、恋愛、悩みごと、そして、その時の話題など、例を挙げればきりがありません。
そんなテーマの中で、自分の過去、現在、そして未来については是非とも語って欲しいものです。子供は、これらのテーマに大変関心があります。
親の過去について質問する、という大それた子供は少ないでしょうから、これは自らが語りかけるのがいいのではないでしょうか。
時には、失敗談、自慢話でも良いです。
親がどのような過去を経て現在に至っているか。
普通の子供なら大変関心があります。
さらに、今後どのように生きたい、どんなことをしたい、という未来(将来)の話をするに至っては、子供は耳を傾けること間違いありません。
未来を語れない親は、魅力ない人間なのです。
幸いにも私は幼児期から子供たちと語り続けて現在に至っていますので、親子のコミュニケーションは良好です。
子供と話し合う場合、大切なことは、自信を持てるような会話に持っていくこと。
さらに、話し合うことによってやる気をおこさせること、これが大切です。 |
(2008.9.5) |
28.
日本人学校に感謝
末っ子の娘が「日本人学校を卒業して良かった」と云うのです。
なぜ?と聞いたら「算数のレベルが高い」からとのこと。
タイの高校に入ったら、数学は中学で学んだことのある内容と同じ内容とのこと。
算数は他の学問と異なり、理論と実技(計算)を伴う積み重ねが要求される学問で、単なる暗記ではダメなのです。
子供の学校選定について、友人から「現地永住の人はタイの学校の方が良い」と進められましたが、日本人学校にこだわりました。
それは、自分が日本人であり、子供も日本人であるというアイデンティティーを持って欲しいと願ったからです。(アイデンティティーについては別に書きたいと思う)
又、もう一つ日本人学校にこだわったのは、文化教育レベルの高い国で学んだ方が、世の中の仕組み、からくりがよく見えるという。
つまり全体を見る力、ちょうかん力が身につくからです。
日本人学校でよかったのは、立派な校舎で、秀れた先生により学んだ、ということでしょう。
駐在員でない私が子供3人とも日本人学校にお世話になり感謝しています。
タイ国に住んでいても、日本のため、タイ国のためになるような立派な人になるよう、親としてしっかり教育していきたいと思っているこの頃です。 |
(2008.9.13) |
29.
理に合わない要求には屈しない・・・・・。
娘が中学のときに、「携帯を買ってほしい」と言いました。
父「携帯は学校に持って行っても良いのか?」
娘「みんな持って行っているよ」
父「ダメなんじゃないの?」
娘「だけど、みんな持って行っているよ」
父「いつ使うの?」
娘「・・・・・」
父「誰と話すの?」
娘「お母さんと」
父「じゃー、お父さんとは話さないの?」
娘「・・・・・」
こんな会話をしつつ結局、「友達の10人のうち9人が持っていたら、買ってあげる。」と言うことになりました。
10人のうち7人が持っていて、娘が8人目になると、残りの2人がかわいそうでしょう。
「みんなが持っている」という理由だけで、物を買ってあげないのが方針でした。
学校で必要とするものは買ってあげるが、必要でないものは買わない、と はっきりした考えを伝え、子供に理解させてきました。
一方で、コンピューター、プリンターなど、勉強に必要なものは、即買ってあげました。
巷で「車を買ってくれないとグレてやる」などという無理(不当)な要求をする子供がいますが、このような時、私の場合「グレてけっこう、あと(子供は)2人いるから。」と強気に出ます。
これが一人っ子ならそうはいかず、ついつい甘くなってしまうのでは・・・・・。
理に合わない要求でも、一人っ子の場合、可愛さの余り、ついついOKしてしまいます。
子供からの要求に対しては、じっくりと理解し合うまで、話し合うことが大切でしょう。
私の場合、子供が3人いるので、その3人で話し合いの場を持って、その中から建設的な意見が生まれ出てくるのではないでしょうか。 |
(2008.11.11) |
30.
カエルの子はカエル・・・・・。
子供にプレッシャーのかかることは云わないことにしています。
親が子供に期待すると、子供はそれによってプレッシャーを感じ、良い プレッシャーは歓迎されるが、それが裏目に出ると目も当てられません。
「父さんが東大を卒業したのだから、あなたも当然」とか
「父さんに負けないように・・・・・」とか
「将来、会社の跡取りになるのだから・・・・・」とか。
父親より特に母親は、子供の頃から将来を勝手に期待したりして。
所詮、カエルの子はカエルなのです、とんびが鷹を産むはずがないんです。
親は子供のプレッシャーを感じさせない気配りのバックアップが大切ではないのでしょうか。
そのためには、同じ目線に立って、子供の心の中に入って理解し合うことです。 |
(2008.11.28) |
31.
言葉と思想
子供が幼稚園から帰ってきて、
「父さん、バカってどういう意味?」と聞いてきました。
「誰がそんな言葉をいったの?」
「その言葉は悪いので使ってはいけないよ。バカっていう人はバカなんだから。」
幼稚園では家庭で使わない良い言葉、悪い言葉を教えてくれます。
子供の頃から、子供に悪い言葉、汚い言葉は使われないよう教育してきました。
友達と話す時は、自由にして言葉を選ばなくても良いが、先生と話す時は言葉を選んで、失礼のないように、とアドバイスしてきました。
そして、父(おやじ)と話をする時は友達感覚でもいいけど、と、しっかりオチも入れて。
高校生になって、汚い言葉を使った時、「社長の子供が、そんな汚い言葉使いをするなんて」と、たしなめました。
どんなに心が良い人でも、雑な話し方をすると「この人の生まれはどうなっているのだろう」と感じ、気分が悪くなってしまいます。
良い人なのだけど、言葉使いが悪い。そういう人はやっぱり嫌われます。
結論ですが、言葉は思想です。良い言葉を選んで使いましょう。 |
(2009.1.8) |
32.
「教育の究極的目的」
子供の教育について、いろいろ書いてきましたが、教育の究極的目的はなんでしょうか?
赤ちゃん・子供・生徒・学生と成長する中で子供に教育を行ってきましたが、最終的には次の2つに集約されましょう。
1つは一人前の社会人として仕事に従事することができる能力を身に付けさせ、立派な社会人の一員となること。
(この場合能力とは、人それぞれに異なり、又限度があり、はっきりしないが・・・)
もう1つは、社会に役立つ人間になるための能力を身につけさせること、ではないでしょうか?
この2つのことが実現できたら、親として本望です。
(このシリーズは一応終了しますが、折りに触れ、子供との生活、成長の様子を書き続けたいと思います。ありがとうございました。) |
(2009.2.13) |
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